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東京高等裁判所 昭和44年(ネ)2092号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

東京都 葛飾区

代理人

竹村英雄

外一名

被控訴人(附帯控訴人)

中田武臣

代理人

工藤舜達

主文

本件控訴および附帯控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人の、附帯控訴費用は附帯控訴の人、各負担とする。

事実

一、控訴人(附帯被控訴人)代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決ならびに附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人)代理人は、控訴棄却の判決ならびに附帯控訴につき、「原判決中附帯控訴人敗訴の部分を取り消す。附帯被控訴人は附帯控訴人に対し金九〇万円およびこれに対する昭和四二年九月一三日から支払いずみにいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも附帯被控訴人の負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求めた。

二、当事者双方の事実上および法律上の主張は、次のとおり附加、補正するほか、原判決の事実摘示と同一であるから、これを引用する(ただし原判決二枚目―記載一八丁―表一〇行目に「示したので、」とある後に「原告は、」を加え、原判決四枚目―記録一九丁―表四行目に「八四〇三号」とあるのを「八四三〇号」と訂正し、原判決六枚目―記録二二丁―表初行の「おい」とあるのを「おいて」と訂正し、なお、「北島」とあるのはいずれも「北嶋」と訂正する。)。

(一)  被控訴人(附帯控訴人)代理人(以下被控訴人・附帯控訴人を被控訴人と、控訴人・附帯被控訴人を控訴人と、それぞれ略称する。)は次のとおり述べた。

(1)、本件金銭消費貸借契約は、当初被控訴人を債権者、北嶋友良および大庫かねを連帯債務者、大庫かねを根抵当権設定者とするものであり、被控訴人と北嶋との間で、かつ大庫については北嶋をその代理人として締結されたものであつて、浅沼欣也はその仲介人となつたにすぎない。

(2)、被控訴人は、昭和四二年一月一八日大庫かねから乙公正証書(昭和四一年第四、七〇二号)につき請求異議の訴を提起され、さらに昭和四一年六月二四日貸付の五〇〇万円の元本残債権につき債務不存在確認、根抵当権設定登記抹消登記手続請求訴訟を提起され、いずれも敗訴の確定判決を受けたが、その各訴訟手続において被控訴人の申立により控訴人に対して訴訟告知がなされているから、控訴人としても大庫に対して右貸金債権、根抵当権、公正証書の有効を主張しえない筈であるとともに、被控訴人もまた大庫に対して右債務の弁済を求めえず、その金額相当の損害を蒙つたものというべきである。

(3)、印鑑証明は財産取引のうえできわめて重要な作用を営んでおり、ひとたび虚偽の印鑑証明書が交付されると、不動産取引に関する不正行為が容易となり、このためになんらかの被害を生ずることは当然である。誤つた印鑑証明に基づき抵当権の設定を受けて金員を貸し付けたところその抵当権が無効となつたために貸付金の回収ができなくなつたことによつて蒙るべき損害は、右印鑑証明書の発付によつて通常生ずべき損害であるというべきである。

(二)、控訴人代理人は、次のとおり述べた。

(1)、被控訴人主張の(1)の事実は不知。本件金銭消費貸借につき被控訴人主張のとおりの公正証書が作成されたことは認める。

(2)、(ア)、乙公正証書によれば、被控訴人は北嶋を債務者大庫を連帯保証人として五〇〇万円を貸し付けたこととされているが、右五〇〇万円の新規貸付とともに旧債務残存元本二〇〇万円を清算することにしたため、差引計算の結果現実には三〇〇万円が授受されたにすぎない。もし新規貸付額が三〇〇万円のみであるならば、第一回目の貸付の残存元本二〇〇万円について更改がなされたものというべきである。すなわち、右残存元本二〇〇万円と新規貸付分三〇〇万円の二口の債務額を合計して一口の債権とし、右合計五〇〇万円の債権について新たに利息を計算したうえ分割弁済の額と弁済期日とを定めているのであり、大庫は、第一回の貸付の場合には連帯債務者であつたのと異なり、第二回の五〇〇万円については連帯保証人として債務を負担したからである。したがつて、いずれにしても、第一回の消費貸借に基づく債務関係は第二回の消費貸借契約の締結によつて清算されて旧債務は消滅したものであり、少なくとも大庫の債務に関するかぎり、そのように解せざるを得ない。そして、乙公正証書の作成に際しては、新債務の連帯保証人たる大庫の印鑑証明書を添付した公正証書作成用委任状が使用されているが、右印鑑証明書は大庫自身がその真正な印鑑について下付申請をした結果作成されたものである。それのみならず、大庫の連帯保証が有効かどうかは右印鑑証明が真正であるか否かと別個の問題であり、かりに右連帯保証が無効でありこれにより被控訴人が被害を蒙つたとしても、右損害は控訴人の印鑑証明の過誤発行となんらの関係がない。

(イ)、被控訴人が北嶋から回収しえない一八〇万円の債権は被控訴人が大庫の所有宅地に設定した根抵当権の被担保債権には含まれていない。すなわち、大庫は被控訴人との昭和四一年六月二四日付手形貸付手形割引契約に基づき北嶋と連帯して債務を負担した際、自己の債務について根抵当権を設定したものであり、乙公正証書に基づいて被控訴人の有する一八〇万円の残債権は右根抵当権の被担保債権に含まれず、したがつて、右一八〇万円を回収しうるか否かは右根抵当権設定登記およびその前提となる根抵当権設定契約の効力如何に関係がない。

(3)、被控訴人主張の損害は、印鑑証明書の過誤発行により通常生ずべき損害とは到底いえない。すなわち、通常生ずべき損害に属するものは、印鑑証明書を使用して締結した契約に要した費用、登記費用、公正証書作成に要した費用にとどまる。印鑑証明書は財産取引のみならず身元保証、自動車の購入廃止、商業登記等多くの目的に使用されるが、その使用目的は下付申請または下付の際に明らかにされていないのであり、財産取引において印鑑証明書が使用される場合には、その使用方法によつて損害発生の有無および範囲がきまつてくるが、場合によつてはこれが無限大となる可能性があるわけであり、このような点からみても、本件損害が控訴人にとつて予見可能なものであつたとは到底いえない。なお、印鑑証明書は、ひとたび発行されるとその無効を宣言する方法がなく、過誤発行であつてもこれを回収する方法がないが、本件損害賠償額の算定にあたつては、右の事情をも考慮すべきである。

三、〈証拠略〉

理由

一、当裁判所も、被控訴人主張の丙印鑑証明書が控訴人葛飾区第一〇出張所職員により大庫かねの登録済印鑑について正当に発行されたものであるが、甲および乙各印鑑証明書はいずれも同職員の過失により右登録済印鑑でない印鑑について誤つて発行されたと認めるものであつて、この点についての当裁判所の事実認定およびこれに伴う判断は、次のとおり付加、補正するほか、原判決がその理由中に説示したところ(原判決一一枚目―記録二七丁―表二行目から原判決一三枚目―記録二九丁―表初行まで)と同一であるから、これを引用する。

(一)、原判決一一枚目―記録二七丁―表七行目の「成立に争いのない」とあるのを、その証明にかかる印影が偽造印であることにつき当事者間に争いのない」と改める。

(二)、原判決一二枚目―記録二八丁―表七行目の「拡大鏡」の前に「場合によつては」を加え、同裏三行目の「甲第四号証」とあるのを「甲第四号証の二」と改める。

二、よつて次に、控訴人職員の右印鑑証明書過誤発行により被控訴人が損害を蒙つたかどうかについて判断する。

〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

被控訴人は、昭利四一年五六月頃浅沼欣也から同人の知人である北嶋友良のため平和相互銀行に対する債務の弁済資金を融資してやつてもらいたい旨再三依頼されて、北嶋に会つたところ、右債務とは北嶋が債務者となり大庫かねがその所有にかかる被控訴人主張の宅地に極度額八〇〇万円の根抵当権を設定して借り受けたものであり、被控訴人が融資すれば北嶋において右銀行に対する残債務約三〇〇万円を弁済して右根抵当権設定登記を抹消したうえ改めて被控訴人の融資に対する弁済のため右宅地を担保として提供するということであつたので、大庫には面接しないまま、北嶋に対して五〇〇万円を融資することを承諾し、同年同月二四日北嶋に対してとりあえず弁済資金として二〇〇万円を交付して右銀行に弁済させた。さらに、被控訴人は、右同日浅沼および北嶋とともに控訴人葛飾区第一〇出張所に赴き、北嶋において、かねて、同人の偽造にかかる大庫の印章を用い大庫の代理人として大庫名義の印鑑証明書の下付申請をしたところ、同出張所職員は右申請の印鑑が大庫の登録済印鑑と相違することに気付かず、誤つてこれが登録済印鑑と相違ない旨の印鑑証明書二通(本件甲、乙印鑑証明書)を北嶋に対して発行し交付した。そこで、北嶋は浅沼に右甲印鑑証明書および大庫の偽造印を用いて作成した大庫名義の白紙委任状を交付し、浅沼は右印鑑証明書および委任状を利用し北嶋および大庫の代理人として東京法務局所属公証人三堀律に公正証書作成を嘱託し、ここに被控訴人との間に被控訴人主張のとおりの五〇〇万円の消費貸借契約に関する甲公正証書が作成され、さらに右同日大庫の代理人としての北嶋と被控訴人との間に、甲公正証書による債務の担保のため本件宅地に被控訴人主張のとおり極度額五〇〇万円の根抵当権設定、停止条件付代物弁済および賃借権設定契約が締結され、北嶋は、右契約証書に前記偽造にかかる大庫名義の印章を押捺した。他方、被控訴人は、前記のとおり平和相互銀行に対する債務の弁済がなされたので、司法書士に対して右銀行のための抵当権設定登記の抹消登記手続を依頼したうえ、北嶋に一〇〇万円を交付して貸与し、甲公正証書が作成された後、北嶋が大庫記年男名義で預けていた右銀行千住支店の口座に残金二〇〇万円を送金して貸与し、前記抹消登記手続の終えるのをまつて同年七月二日、乙印鑑証明書を使用して前記契約に基づく根抵当権設定登記、停止条件付代物弁済契約を原因とする所有権移転請求権保全仮登記および賃借権設定仮登記の各手続を了した。ところが、北嶋は、被控訴人に対して右借受金の一部を弁済し、被控訴人は、その弁済ぶりに好感をもつたので、北嶋の要求により右返済分を改めて同人に貸し付けることとして、結局、合計五〇〇万円の貸金について、北嶋の持参した丙印鑑証明書を提出させて、同年一〇月一九日北嶋を債務者、大庫を連帯保証人として右五〇〇万円の弁済方法を被控訴人主張のとおり定めた公正証書が作成された。しかし、北嶋を大庫の代理人とする昭和四一年六月二四日および同年一〇月一九日付の前記各契約は、いずれも本人たる大庫の不知の間に北嶋が擅にその代理人として被控訴人との間に締結したものであり、右契約に基づく前記各登記手続も公正証書作成嘱託手続もすべて北嶋が大庫のための代理権なく擅にしたものであつて、これがため被控訴人は大庫から乙公正証書につき請求異議の訴ならびに、前記昭和四一年六月二四日付契約に基づく大庫の債務の不存在確認および右契約に基づく根抵当権設定登記等の抹消登記手続請求訴訟を提起され、第一審においていずれも被控訴人敗訴の判決を受け決定した。(訴提起、敗訴、各判決確定の事実は控訴人が明らかに争わないから、自白したものとみなす)したがつて、被控訴人としては大庫に債務の弁済を求めることもできず、担保権を実行することもできず、さりとて、北嶋は事業に失敗した揚句逃亡しており現に無資力であつて、同人から債務の弁済を受けることは到底不可能であり、右五〇〇万円の内金一八〇万円はいまだに弁済が得られず、今後も弁済される見込はない。

以上の事実を認めることができる。原審および当審における証人渡沼欣也の証言および被控訴本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信しえない。

してみれば、被控訴人が北嶋に対して五〇〇万円の融資をすることを決定し内金三〇〇万円を交付したことは被控訴人発行の印鑑証明書を信頼したことによるものであるとはいえないけれども、内金二〇〇万円を送金したのは、甲印鑑証明書が提出されて甲公正証書が作成され、被控訴人がこれにより北嶋を大庫のための代理権を有するものと信じて前記根抵当権設定等の契約を締結したからでありまた、その後前記のとおり追加貸付をしたのは、乙印鑑証明書により前記根抵当権設定登記がなされていてこれにより右貸付分も本件宅地をもつて担保されるものと信じたがゆえであるということができ、したがつて、被控訴人が北嶋から前記貸付金額につき乙公正証書の定めによる弁済を受けられない場合は、右未回収分は控訴人職員の印鑑証明書過誤発行にも基因して被控訴人の蒙つた損害となるものといわなければならない。

控訴人は被控訴人の右損害は根抵当権設定契約の無効、北嶋の債務不履行ないし無資力が原因であつて、控訴人職員の印鑑証明書過誤発行と因果関係はないというから考えるに、控訴人主張のような事実がなければ被控訴人は損害を蒙らなかつたであろうけれども、控訴人職員発行の甲、乙印鑑証明書がなければ甲公正証書の作成、根抵当権設定契約ならびにこれによる登記もなされなかつたであろうし、被控訴人としても前記残金二〇〇万円の交付もしくは追加貸付をしなかつたものといえるから、右印鑑証明書の過誤発行と被控訴人の右金員交付貸付との間には因果関係が存在するものといわなければならない。また、控訴人は、甲公正証書による債務は清算されて新たに乙公正証書による債務のみが存在することになつたところ、乙公正証書は真正な丙印鑑証明書を使用して作成されたものであるから、控訴人職員の甲乙印鑑証明書過誤発行と被控訴人の損害とはなんら関係がないというが、前述のとおり甲公正証書がさきに作成されて根抵当権設定登記等がなされていたからこそ、被控訴人も追加貸付をしたものということができるから、右印鑑証明書の過誤発行と被控訴人の損害との間に因果関係がないとはいえない。さらに、控訴人は、被控訴人が北嶋から回収しえない貸付金債権は前記根抵当権の被担保債権には含まれないといい、前掲甲第一一号証によれば、乙公正証書には被控訴人から北嶋に対して五〇〇万円を新規に貸し付けたように記載されていることが明らかであるが、前記認定したところによれば、右五〇〇万円の貸付分は前記根抵当権の被担保債権として当初の五〇〇万円の貸付債権との同一性を失つたものではないことが明らかである。控訴人は、そのほか、被控訴人の損害が印鑑証明書の過誤発行によつて通常生ずべき損害にあたらないといい、予見し得べくもなかつたことをるる述べけれども、いずれも独自の見解であつて、前記認定判断を覆えすに足りない。三、そこで、被控訴人に対する損害賠償の額について判断する。

被控訴人は、結局において前記のとおり北嶋から貸金債権中一八〇万円を回収することができなかつたわけであるが、前掲各証言および本人尋問の結果によると、被控訴人は不動産取引業のかたわら貸金業をも営むものであるところ、前述のとおり公正証書あるいは貸金および根抵当権設定契約書等の作成されないうちに北嶋に対して貸付金の一部を交付し、その際北嶋方において、大庫かねがその近隣に居住していることを知りながら、北嶋の妻(大庫の娘)から大庫が不在であるといわれただけで、面接もせず、電話その他の方法により大庫の委任状の真否すなわち北嶋の代理権の有無を容易に確め得たのにもかかわらず、そのような措置をとらず、しかも貸金額の一部弁済を受けた後再び貸付をするにあたつても大庫の真意を全く確めなかつたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右事実によれば、被控訴人はその損害の発生について過失あるを免れないものというべく、右過失の存在を斟酌すれば、控訴人の被控訴人に対する賠償額は九〇万円をもつて相当と認める。

四、よつて、被控訴人の本訴請求は、右九〇万円およびこれに対する本訴状送達の翌日であること記録上明らかな昭和四二年九月一三日から支払いずみにいたるまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度において理由があるからこれを認容すべきであるが、その後は理由がないからこれを棄却すべく、これと同趣旨に出た原判決は相当であつて、本件控訴および附帯控訴はいずれも理由がないから、民訴法三八四条一項に従いこれを棄却することとし、控訴費用および附帯控訴費用の各負担につき、同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(西川美数 園部秀信 森綱郎)

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